ドスコイ墓場

オタクの話やオタクじゃない話や

今週あたり(〜2022/11/17)

朝目覚めると夢を見たことだけを覚えていて中身は一つも思い出せなかった。よくあることだと起き上がり、水を飲んだりパンを食べたり洗濯物を干したりしていると、その内のほんの一瞬、ふとした瞬間に、夢の手触りだけが脳内をよぎる。それらは散りばめられたもので、それぞれの手触りをかき集めても夢の輪郭にすらなり得ない。感触だけが立ち上がり、肝心の内容は一つも思い出すことができない。夢というのはいつもこのようなものである。夢日記をつけ続けると気が狂ってしまうと言うが、日記をつけ続けられるほどに記憶することは不可能なのだろう。

 

 

サムネにしたくて入れただけの写真

 

 

 

私は出先で写真をあまり撮らない。基本的にはただその習慣がないからで、あとは意味を感じないから。「旅行に行った時、思い出は目に焼き付けるべきだから写真は撮らない方がいい、という言葉を鵜呑みにしていたけれど、そうすると後から何も思い出せないから、写真は撮った方がいい」という旨のツイートを見かけたが私は、「思い出せないからなんぼのもんじゃい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と思った。人はおそらく、生きているうちに触れたもの全てを覚えている。ただパンクしてしまうからほとんどのことを思い出せない、思い出さないように出来ているだけで、全ての記憶はあらゆるところで息を潜めている、と私は信じている。かっこいい例が出せたらよかったのだが、私がそう信じるに至った原因は、あろうことかかまいたち濱家である。

去年の9月、「かまいたちの知らんけど」という番組で、濱家が幼少期から37年間通ったスーパー『イズミヤ』の閉店に際し、別れの挨拶をしにいくという企画が放送されていた。イズミヤへ足を踏み入れ歩みを進めるごとに濱家の記憶は蘇り、言葉が次から次へと口を衝いて出る。濱家が思い出せずにいた数多くの過去の記憶は土地そのものにも眠っていて、また濱家の元に帰ってくる。そんなシーンを食い入るように見て、私は記憶とは「全て生きている」のだと信じてしまった。そしてそれでも思い出されない記憶たちのなんて美しいことだろうか。誰にも思い出されることがなくても、その瞬間は確かにあったのだ。その時、その人とその場所は、確かに交流を果たしていた。二度と思い出せなくても、どこかに残っていて、その後の人生をほんのわずかでも形成している。その事実だけでよくないですか?と、私は思うのだ。

 

5年前私は夢を見た。その夢はほとんど思い出せないけれど、一部だけメモに残してある。様相も忘れたが、足元に金色に光る道が広がっていて、私は立ち尽くしている。すぐそばに誰かがいて、それは知っている人か知らない人なのかも思い出せない。その人が私に何かを告げた後、さらに付け加える。「それとね、こういうところのことは、全部夢だった、自分の妄想だったって思うんだよ。そうしたら今がもっと特別になる」

後から思い出すこともできず、その時ですら「嘘」だと思う。すると、本当に体験している「その時」が、最も貴重なものになる。

と、夢の誰かが言っていた。その一瞬だけを覚えている。その知らない誰かを信じている。

 

 

つまり、私の中では写真は撮らなくても良いということになっている。別に撮ってもいいし。写真を撮れば記憶が蘇る確率はもちろん高くなるし、そこでは楽しさや切なさや様々な感情が訪れるだろう。そのこともまた、素晴らしいと思う。

 

 

 

 


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嵐ばっかり聴いている。嵐の初期作にあった粗雑な部分を孕んだ若さの表現と不遇な少年像、こればっかりはもうここで堪能するしかないので…

 

 

 

姉の誕生日が近く、そして家族が集合したタイミングがあり、その結果、ケーキにろうそくを立て部屋の電気を消し、バースデーソングを歌いながら姉に火を吹き消してもらい、「おめでとう」と言い合うイベントが発生した。映画や安いドラマで見るような完璧なシーンで、無性に感じ入って、そのことがなぜかどうにもやるせなくなってうなだれて、もう悪い夢を見ているような気分になってしまった。私はなぜこうなってしまったのでしょうか?土井善晴先生……食べたいご飯がないんです。

 

 

姉と姉の恋人と車で出かけた時、そのうち雨が降ってきて、ステレオで松任谷由実の「影になって」をかけたら、合いますなあと姉の恋人が言った。その曲が入ってるアルバムの名前「悲しいほどお天気」やねんけどな、と言うとひと笑い。その後目的地を訪れて、車に戻ろうとすると道路で猫が轢かれて死んでいた。3人で空き地に運んで埋めて手を合わせた。このような日というのは一体どのように形容され、記憶されるべきなのでしょうか?土井善晴先生……私は汁物が苦手なんですが、一汁一菜をどのように実践すれば良いのでしょうか?