ドスコイ墓場

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Feel Specialはあなたの話

先日行われたMnet Asian Music AwardでのTWICE「Feel Special」のパフォーマンスに涙してしまいました。

 


[2019 MAMA] TWICE_Feel Special (R&B remix)

 

2019年kpopは女子の楽曲が本当に豊かだったと思うのですが、Feel Specialはその数ある楽曲の頂点に立つと言っても過言ではないかな、とすら思います。ティーンの恋愛を先だって歌ってきたTWICEが、ここへきて自らの孤独とそれを拾い上げる「誰か」の存在を歌う。そこにはデビュー、果てはデビュー前から大いに大衆の関心を集めトップアイドルとして走り続けてきた彼女たちの実感が確かに息づいていて、決して薄っぺらい感動ソングになどなり得ない。

 

この曲は歌詞だけを一見すると、愛しい恋人のことを歌った恋愛ソングと捉えることも可能です。けれどもFeel Specialに関してここまでそのような解説や評価を目にした記憶はなく、それはやはりひとえに彼女たちの存在が強いのだと思います。(実際、プロデューサー・パクジニョンが彼女たちから聞き出した話を元に作ったという話はすでに広く知れ渡っているためその影響が大きいはずですが。)Feel Specialはその楽曲だけでなく、共にMV、パフォーマンスを見ることで成立し、そしてその根底には彼女たちが過ごしてきた時間と感情が根付いていることを誰もが感じずにはいられない、まるで生き物のようなものだと感じます。そしてこれはアイドルの一つの理想、到達点と言えるのではないのでしょうか。

 

さて私が言及したいのはMVです。

 

 

MVで表されるのは「誰か(何か)との邂逅」、そして「それから少し力をもらう」こと。

 

例えばチェヨンとミナは隔絶されたそれぞれの世界から歩み寄り出会います。

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完全に隔離されたシェルターの中で1人でいるチェヨンと、不安そうな顔つきで不思議な森をさまよい歩いてきたミナが出会うこのシーンにおいて、「孤独の理解」が描かれていると感じます。閉ざされてきた人、迷い歩く人、そのどちらにも徹底的な孤独の時間が存在している。そして2人が出会った時、それを互いに瞬時に理解する__違う状況に生きてきながら、同じ心を共有できる人がこの世のどこかにいて、そのことへの確かな希望がじわりと滲み出る。そんな風に感じられるのでした。

 

 

変わってナヨンとジヒョの出会いです。

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無数のテレビ画面に映し出されたナヨンと、その画面の前に佇むジヒョ。まさしくスターとファンの関係を表すような描写です。


ナヨンは画面の中で美しく微笑み、

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ジヒョはそれを受け口元を緩める。

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画面上のスターの微笑みを見て、ファン(私たち)が力をもらう。一見そんな一方的な関係を表しているように見えるけれどそう感じさせないのがTWICEのすごいところ。

世界がどんなに私を座らせても

傷つく言葉で私を中傷しても

あなたがいるからまた私は笑う

画面に映るナヨンも、画面の向こうの誰かのことを思いながら笑っている。ここは本当にトップスターとして走り続けてきたTWICEにしかない説得力だと思います。

 

直接あいまみえることがなくとも、お互いにお互いの存在を信じていて、画面を通じて力をもらう。脆いようでありながら、「信じる」ことで確実に存在している、スターとファンの、ともすれば奇妙にも思えるそんな関係性が如実に表されていると感じます。

 

 

続くツウィとモモの描写、ここで初めて人間と「人間ではない存在」との出会いが描かれます。

(ミナとチェヨンが人間だったのかは置いといて)

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あちこちに並べられた無数のドールハウスの中から美しく着飾られたツウィを見つけ出し、まじまじと見つめるモモ。
ここで私は幼少期の自分のことを思い出しました。可愛い人形に自分の好きな装いをさせ、自分の思い描いたストーリーを辿らせるように遊ぶ。人形遊びをしていた子供の頃、そこでは確かに自分の夢や理想の投影が行われていたのでした。

 

モモはたくさんの人形の中からツウィだけを「見つけ出す/見つめる」

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たった1人の特別な存在と出会ったかのように、引き寄せられていく。

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そしてツウィにとっても、「自分を見つけ出してくれる誰か」が現れる瞬間です。

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「あの時私の前に現れたあなたの温かい笑顔と手で特別な私に変わる」、人形であるツウィが人間のモモに見つけ出された瞬間をそのまま表しているような歌詞です。

 

誰かが自分を見つけ出してくれる、という希望を私たちは少なからず抱いていると思います。だから人と出会いたいし、人が周りにいなければさみしい。誰しも自分の中には他人と共有できない何かがあると感じていて、それでもどこか共有できないかと求めている。あらゆる選択肢の中から、たった1人を見つけ出すこと、そして「人形と人間」という、異種の出会い。この世界で誰かと「出会うこと」における、奇跡のような希望を、ここで表していると感じます。

さらにこの時モモにとっては、前述したように「夢と理想の投影」に出会った、あるいは再会した瞬間なのかもしれない。自らの夢や理想を見つけ出し、大切にすることは、自分を大切にすることにつながっているのではないかと私は思います。

サナとダヒョンの描写はMVの中で一番感動的だったように思います。

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降りしきる雨の中感傷的な表情で座り込んでいるサナの前を多くの人々がものすごいスピードで通り過ぎていく、それを、キャンディ柄の傘に笑顔を携え、側で見つめているダヒョン。ここ、旧知の仲であるダヒョンがサナを迎えに来ているとも取れるのですが個人的にはたまたま通りすがった2人という一瞬の関係であると解釈しました。

 

 

 

例えば、早朝に目覚めて窓を開けて外を眺めていたら、犬を散歩させているおばちゃんが通りかかるのを見つける。例えば、終電に乗り込んだら女の人が1人で泣いているのを見つける。例えば、スーパーで箱アイスを買うか買わないか真剣に悩んでる人を見つける。そういう、全く知らない人との一瞬の、交流と呼べるのかも曖昧な交流は、果たして私たちに何ももたらさないのか?といえばそんなことはなくて、どれほどわずかなものでも、何かしら影響がある。いいもの見たと少し嬉しくなるかもしれないし、はたまた悲しくなるかもしれないし、その後の行動に少しのきっかけを生んでくれるかもしれない。そんな出会いがこの世の中には溢れていて、それは小さい奇跡のようなものだと思うのです。

サナは、打ちひしがれていた時にたまたま通りがかったダヒョンを見て、一体何を思うのか。MVのラストで美しく微笑むサナは、ダヒョンとの一瞬の出会いに希望を見たのかもしれない。そんな自己肯定の形もあるんじゃないかと思います。

たとえその後関係を結ぶことがなくても、たった一瞬だけ起きた出会いが、その後の人生に静かにつながっていくのかもしれない。そんなロマンと奇跡が潜んでいる。

 

ジョンヨンは誰と出会ったのかといえば、ジョンヨン自身でした。

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すごく含みのある描写なのですが、椅子に1人座るジョンヨンと、階段上でTWICEメンバーたちと談笑しているジョンヨン、これはジョンヨンの主観と客観を表しているのではないかと。

 

自分にしか見せない自分と、他人に見せる自分とがいて、その時人は本当の自分というものを模索しがちですが、実はそれってどっちが「本当の自分」ということもない気がします。孤独に佇むのも人に囲まれて笑顔を作るのも全て自分の一部で、どちらもがいて自分が作られている。矛盾した、乖離した自己ではなくて、両方が存在することで初めて「本当の自分」と言えるのではないかと思います。赤い衣装に身を包んだジョンヨンと、青い衣装に身をまとったジョンヨンが見つめ合い微笑む時、互いの存在を認め、あなたもわたしも「自分」だと、確認しているような気がします。
あらゆる自分の存在を見つけ、認めた時に人は、少しづつ自分を肯定するようになるんじゃないでしょうか。
 

 

色々な出会いの形を描き、最後には全てのメンバーがほんの少しだけ笑う。このMVでは大きな出来事も何も起こらないけれど、それぞれの異なる出会いは確かに私たちにも起こってきたことです。大きな力も、ドラマティックなこともなくても、奇跡はすぐそこに転がっていて、細くても確かにつながることで、また私たちは明日を迎えることができる。

自分を肯定し特別な存在と感じさせてくれるのはこれまで関係を築いてきた誰かだけではない。街中で一瞬すれ違う人、初めて出会う人、お人形、テレビの向こうの人、さらには自分自身。それらとふとした瞬間出会い、自らが見えるようになることがこの世の中にはある。その、果たしてすぐに消えてしまうように思える交流の中に、自らを肯定する可能性が潜んでいる。

私たちの生活・人生は、手の届く範囲にいる人との交流だけが形作るのではなくて、そんな刹那的な出会いが積み重なって形作られている。そこに生きていく上の希望があって、まだ諦めなくてもいいかな、と思えることがあると思うのです。

 

 

美しくきらびやかな衣装とセットに包まれた最強の彼女たちがここで表していたのは実はほんの些細なことで、この世界に生きる誰にも起こりうる、日常に潜んだ奇跡だったのだと思います。それは、彼女たちから私たちへの最高の肯定、まさしく「feel special」!!だからわたしは見るたびに泣いてしまうのでした。

彼女たち自身のことを語っているような作品(歌詞もメロディもMVも全て含めたもの)でありながら、その実全ては私たち、ファンではない人も含んだ全ての人に向けられた、私たちの話だった。それって大いなる愛以外の何ものでもなくないですか?(真顔)

彼女たちがトップに立つ世の中であって、本当に幸せだと感じます。

 

誰もが自分を愛して生きていけるようになることを心の底から望みます。FeelSpecialはしっかりと、そのための力をくれる。

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Feel Specialはあなたの話!