ドスコイ墓場

オタクの話やオタクじゃない話や

今週あたり(~2022/12/06)

大分前に購入した細いペン先のボールペンと、ロルバーンのノートがあった。意気揚々と買ったのにあまり使いこなせずにいて、またこんなやり方でお金を無駄にするんだよ私は…とずっと思っていたのだけど、絵を描くのにその二つがしっくり来て、今になって役立っている。いずれ”その時”が来るようにできているのかもしれないな、と素朴に信じてしまう。私にはスピり傾向があると自負しているが、このような出来事とは誰にも等しいものではないか?として、強気で行こうと思っています。あざした。

 

絵を描いていると言っても、写真に映る花やビーズのアクセサリーを書き写しているだけなのだが、納得いくように描くにはやはり隅々までよく見ないことには何も始まらず、絵は観察が大事なのだと思いながら、私には観察する覚悟が不足しているんだと脳内でひとりごちていた。観察というものが、対象と向き合うという意味まで包括しているのなら、私は今まで対象にただただ不遜な目を向けていたに過ぎないのではないだろうか?考えるカラスのオープニングの斎藤工が隙をついて脳内に語りかけてくる。「観察し、仮説を立て、実験し、考察する、科学の考え方を学べる、考えるカラス…」私は考えるカラス蒼井優が出してくる問題に一つも正解したことがない。私に観察する覚悟がないからか?

 

 

インスタグラムを開く時間を以前より増やすと、どうにも私も何か、素敵で刺激的であわよくば自慢になるものを共有しなければいけないという意識に駆られてしまう。そういう人とかあ〜ヤダヤダと思っていたのは裏を返せば自分がそのように考えているからだねと、反省し太ももを強く殴った。とはいえ写真を撮る習慣が恐ろしいほどなく、気づけば綺麗なケーキや気に入りのコーヒー屋など撮ることをすっかり忘れ、食べ終わったあと立ち去ったあとに「あ写真撮ってねえや!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と一人で大声を出していた。なんか色々書いてたくせに、こんな中途半端な態度で生きているから私はシュトーレンのハーフも3日で食べ終わってしまうような人間になってしまったのだ。

 

 

 


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FIFTY FIFTYはボーカルのバランスが非常に良くて、大事に大事にしてほしいと思う。Spotifyは気になるプレイリストがあるときに使うレベルで年末のまとめなんかも全く意味をなさない程度のユーザーなのだが、これ

< My Disco DJ Era's Classics (Released before I was born) - playlist by tstomc | Spotify >

 

を聴いて出会ったManhattansのIt Couldn't hurtが気に入った。少年隊のThe longest night、これ一曲で少年隊の全てを信頼するくらいの強度ですぐさまメルカリで音源を購入。幼少期私は”特捜部”(世界まる見え)に出演していた植草くんをかっこいいと思っていた記憶があるが、今は錦織一清さんの良さがこの身に沁みるね。工場でした。

 

 

 


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誰だってどこまでが自分の本心で、どこまでが嘘なのか、そのラインは明確ではないはずだ。”本当のこと”があるとして、それがいつどのように表出するのか、あるいはしないのか、完璧に掴みきれている人がいるのだろうか。自分のこの気持ち・言葉・行動は嘘で、これは本物、ときっちり区別できる人などいるのだろうか。それはもちろんアイドルという職業についても当てはまるはずで、むしろアイドル自身は(いわゆる)本心と虚構が不可分であるその性質に翻弄されつづけているのではないかと思っていた。そんなことは歯牙にも掛けず淡々とやれる人や、悩んで答えを出した人、うまく飲み込めなくてリタイアした人、うまくいかないまま続けている人、きっとそれぞれの姿があるのだろう。だからこそ私は少なくとも、アイドルに虚構≒理想を無邪気に押し付けない、というラインについて考えてきた。どうすればお互いが健全な関係でいられるのか、まずその考えがひどくぼやけて甘いものだとしても、探れないものか?と。

 

私の笑顔は変でしょう

でもあなたは私のことが好き

 

私の裏に隠された私の心 実は私にもわからない what I want

一体なぜ、それが重要なの

あなたの目の前に広がったこの瞬間を楽しめばいい、このまま

Nothing wrong, Nothing right

 

 

虚構の姿に惹かれて追いかけてくる相手の様を嘲笑いながら、本心と虚構の境目を身勝手に探って自己満足に浸ろうとする手もやんわりと止められた上、「本心は自分にもわからない」と告げられる。

デビューからいわゆる自己肯定を3作続けて歌い上げ、「恋愛なんかにこだわらない 世界には面白いものがいっぱい」という歌詞を軽やかに忍ばせていたITZYは、いつの間にか普通に恋愛の駆け引きを歌っていた。以前とは違って今では私も、しょうもない恋愛の歌の醍醐味を感じ、充分に楽しんでいる。けれどもそれでは納められないくらい、ITZYと楽曲との歩みは肉薄したものになっていると感じる。

デビュー当時のパフォーマンスには、その歌詞を真正面から享受して、いたく感動したものだったが、その後この動画が”コンテンツ”としてアップされた時、

youtu.be

 

自己管理やコンセプトということも含めたこの業界の変わることない不文律、現実と虚構のラインのハードな有様を目の前に突きつけられたようで、無邪気過ぎた自己を恥じる思いになったものだった。ITZYの売り物である部分とそうではない部分を、誰が守るのだろうか。私はITZYという”もの”のどこをまともに受け入れ、どこを受け流すべきだったのだろうか。

そんなことを考えつづけた果てに今、「なぜ本心が重要なのか。目の前に広がるものをそのまま楽しめばいい」と歌われている。袋小路すぎないか?何度聴いても眉根を寄せて、悲しい気持ちになってしまう。ただの歌だし、ただのコンセプトで、ITZYの心の叫びなんかじゃないんだろう。だって自己肯定も単なるコンセプトだったんだし。でもそう割り切るには、あまりにも生々しい姿で歩み続けてきたように思える。

 

幸せですか?今のあなたは?幸せなんですか?


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ズーンと落ちた気持ちでチェシャの和訳動画を見ると、コメント欄に「チェシャ猫みたいに相手を翻弄する歌詞がかわいい♡」みたいなことが書いてあった。

 

 

ああ…

 

これそういう歌なんだ……

 

そっか……

 

俺がおかしいのか…

 

 

………。