ドスコイ墓場

オタクの話やオタクじゃない話や

今週あたり(〜2022/11/10)

Twitterが今のように使えなくなり離れることが出来たら私がまともな人間になれるかといえばそうではない。助けてくれ。まともな人間とはなんなのだろう。まともがわからない。

まともがわからない

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とりあえずまともな食事というのが出来なくなってきた。カヌレを一回で二個食べてしまう。いやこれは別に許容範囲か?土井善晴先生、カヌレは一回に二個食べてもいいのでしょうか。

 

 

 

「ダンスブリッジ 3つの未来」を観に神楽坂へ。こんなものを観せてくださりありがとう…と思うくらい私にはドンピシャで、終始笑みを浮かべながら観ていた。喜ばしいものを目の当たりにした時には否応なしに笑ってしまう。それは畏敬の念につながっているからこそなのだろうなと近頃強く思う。

 

一つ目の演目は平原慎太郎率いるOrganWorksの若手メンバーで構成されているというBALAによる「CUELLO」。

数名のダンサーがそれぞれ微動だにせず空間に佇む中、張り付いた笑みを浮かべたダンサーAがぬるりとやってきて反応を示さないダンサーBの身体をいじくる。そのうち、反応を示すがどちらが操りどちらが操られているのかわからなくなる。というのもAがBの腕を動かし、位置が変わったBの腕は重力に従うようにゆっくり元の位置に戻るのだけど、AはBのその動きが完全に終わってから、追従するように同じ動きをする。その繰り返しのあと、2人のシンクロした動きになる。序盤のわずかなそれだけのやりとりで既に惹かれ、食い入るように見つめてしまう。

中央で仰向けになっているダンサーへと寄生虫のようににじりよる、ダンサー達の群れ。そしてなんとか仰向けの身体を持ち上げて動かそうとするのだが、これが全く思い通りに動かない。まるで巨大な岩石のように見えてしまうその身体の在り方が素晴らしい。

そして、長く続いた静寂は「CUELLO!」の大きな掛け声で破られ、激しいビートと慌てたような口上と共に空間が瓦解する。その後も人力メリーゴーランドとでもいうような強力なコンタクトや、二人羽織など、ただ表面をなぞるように観るだけでも刺激的で面白いダンスが続く。

構成と演出が上手くて超!楽しい。

全編通して、身体の主体性はどこにあるのか、その境界の曖昧さを探っているような、もしくは曖昧にしようとしているような。序盤から、動作の主導権は今誰にあるのか、というところが撹乱されていき、静寂が弾けてからはより激しく混ざっていった印象。それが本当に面白かった。

終盤、一人が寝転んだまま殺虫剤を入れられのたうちまわる虫のように踊るシーンがあり、如何せんそれにどうもやられてしまった。魅惑的すぎ。ブレイクダンスやパントマイムのようなジャンルを跨いだ要素が入ると単純にできることも広がるし、奇妙な身体が出来上がっていくようで面白いな、と。

 

そして観ながら、全然関係ないのに「やっぱkpop好きだな〜」と思った。ポップなツラしてごった煮ができるんだよな、というのと、いわゆるダンスが上手い、とは評されないような固い身体が入ったところで、ぶち壊しになどならないところ。それって本当に面白いことだと思う。

 

 

続く演目は柿崎麻莉子の「32」。出産を経験し感じた社会の摩擦、ジェンダー平等に向けて変化する社会についての作品。

 

柿崎麻莉子の特有性はやっぱりその熱烈さ。生活と経験から率直に出てくるダンスはこれ以上ないほど胸を揺さぶる。掴まれる。そして意図的ではないにせよ、自分のことを考えるように誘導される。観ているこちらの人生にリアルに接続してしまうところが、生々しく魅力的だと思う。



エマワトソンのスピーチを挙げながら柿崎は、ジェンダー平等が達成されるであろう時、「生まれたばかりの私の娘は、70になります」と述べる。

その言葉が時間と空間を一気に流し、やるせない気持ちを引き連れてくる中、柿崎は微笑みながら、「I'm the change」と述べ、踊った。先行きは見通しがつかない濁ったものであるのが現状だが、その軽やかな足取りに、「希望を見出すこと」を信じられるような気にされた。お守りのような演目であった。

 

 

最後の演目はブッシュマンの「夜のバタフライ」。四名のダンサーがグレーの全身タイツ(めちゃくちゃペプシマンみたいだった)とそれぞれ色の違うコートに身を包み、誰が誰なのかわからないままダンスが進んでいく。柿崎の後だったことが影響したのか、ホモソーシャルな集団への皮肉にも見えた。そしてその悲哀にも。ペプシマンみたいな奴らがどことなくコミカルに踊っているのに、どうにも虚しい空気に満ちてくる。ノワールを観た後の物悲しさに類いする雰囲気が終始滲んでいた。ダンスもパワフルで目が離せない。高速で止むことのなかったソロのダンスは圧巻だった。

 

とにかく3組とも抜群の身体表現で目が釘付けになった。鮮烈に印象に残ったのでこんなにも書き連ねてしまった。もしここをちゃんと読んでくれた方で興味が湧いた方がいたら、12日までは配信しているそうなので観てほしいと思います。(写真は全て神楽坂セッションハウスのスタッフブログ

https://fromstaff.exblog.jp/29411217/

から拝借しました)

 

 

この日、とても満ち足りた気分だったのだけど、晩ご飯にと入った韓国料理屋は「まだ営業時間前です」と断られああすいませんと退出し立ち寄った台湾料理屋では全てのチョイスを失敗し不満足、行きたいケーキ屋は遠すぎてもう諦めてシンプルタピオカを飲むなど、食事に関してツキがなかった。私はもうまともな食事ができません。助けてください。

 

 

エルピス3話を見たのだが、「正しいこと」とはなんなのだろう。もちろんあの登場人物達(基本浅川だが)は今まで自分の違和感を飲み込んでやり過ごした結果壊れてしまったから、もうそんなことはしたくない、という気持ちでそう言うのだろう。正しいと思うことをする。それは、実際特別なことではないし、たいそれたこととは限らない。だけど、それが例えば誰かの心の内を覗くことと不可分になってしまう時、それを正しいことのために、と思う時点で、浅川が過ちだと評したマスコミの悪い部分と紙一重ではないか?と私は思う。人に語らせる、聞き出す、そういった行為がそもそもどれだけ無礼で、厚顔無恥なものなのか、いつも念頭になくてはならないのでは、と思う。なので浅川が自信を持ち始めるところは少し怖かった。「自分は正しいことをしている」と自信を持っている人間ほど恐ろしいものはないから。浅川の場合は自信を持ったから、正しいと思うことだけをする、というニュアンスだけど……。しかし正しい人間になりたい、という漠然とした気持ちは私も抱いてきたもので、わからんことはないのだが。

 

まあ、ドラマの話なんで、いいんですけど……

 

人は、インターネットをやめて外に出た方がいいから……


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船上パーティー

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