ドスコイ墓場

オタクの話やオタクじゃない話や

ルセラに端を発する、踊りについての個人的な覚え書き

以前からよくルセラフィムの振り付け勘弁してくれみたいなツイートをしてしまっていて(すみません)、結局今回のカムバについても同じような気持ちを抱いていた。

 


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ただ自分でもよく理由がわからないままいたので、ひとまず考えていたことをまとめておこうと思う。

 

私が考えているのはKPOPという大まかなくくりの中で繰り広げられる音楽と踊り、その現象が、どのように、なぜ私の心に働きかけるのか、というところであり、いわば全くもって個人的な話にすぎない。ので、価値判断を仰ぐものではない。という前提を口すっぱく言っておく。じゃないとすぐ意図せぬ形で変に広まっちゃうんだから。インターネットって怖いでしょ〜?

 

 

 

 

セラフィムのコレオを見ながら過剰だなあという印象を毎度抱くのだけれど、なんかジャスティンビーバーのsorryを見た時に抱いたものと似てるな〜と思っていたのだが、調べてみるとルセラのコレオグラファーであるtodd williamsonというのは以前、まさにそのsorryのコレオグラファーとして一躍有名となったparris goebelが率いるクルーであるroyal dance familyに所属していたらしく、その勘が当たった感じに驚きながらもそういうことかと腑に落ちた。

 


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parrisがkpopで振り付けてきたのは主にYGグループであったし、YGは基本的にヒップホップが売りの事務所だったから、相性も良かったのではと思ったりはする。グループの振り付けとしてはあまり過剰には感じなかった記憶も。なんにせよ今私がルセラのコレオに感じる違和のようなものは当時抱かなかったし、今parrisのコレオを見てもそのようには思わない。

 

 


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ルセラのコレオを見ていて思うのは動きの過剰さ、身体性の誇張。リズムやビートにほとんどハメず歌に合わせて振り付けてあるところも特徴に感じる。身体性の誇張という表現が適切であるかは自信の持てないところだが、ルセラで言えば”蹲踞”のごときポージングや、胸や腹、尻を強調した動きを、エロティックではないがダイナミックに魅せる、という点がルセラ楽曲のコレオに共通していると感じる。動きの過剰さはそういう意味でもあるし、リズムやビートにハメず、これでもかと振りを詰め込んでいるあたりに感じている。デビュー曲のFEARLESS、また同時に披露することもあったBlue Flameは今回のカムバよりもそういうところが顕著で、どうにも私には不可解な気分だけが残っていた。

 

FEARLESSで言えばベースのリフが基本でビートも顕著(?)、シックに仕上がっているように感じるトラックに、そのようなコレオが乗ると、正直わけがわからなくなるのだ。


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この記事を拝見したが、

kaki-genkin.hatenablog.com

 

モードというものに対しあのコレオを用意するというのは一体どういうつもりなんだと思う。ビジュアルイメージがクールな割にパフォーマンス中は破茶滅茶だ(もちろんクオリティの話では無い)。だがLE SSERAFIMというグループ名に込められた意味やFEARLESSの歌詞に表象される像と結びつけるなら、その過剰さというのは適切なやり方なのかもしれない、とも思うし、モードに過剰さをぶつけて化学反応を望んでいるのか?という考察厨みたいなことも考えたりした。

 

 

しかし、目の前で繰り広げられる音楽と踊り、その現象、として見る時、どうにも抑圧感がある。あまり緩急がつけられぬまま次々振りが繰り出され、フォーメーションの効果というのもさほど感じられず(私は群舞を好んでいるわけではないので、フォーメーションがなくては、などというつもりは一切無いのだが、それにも効用があるのを踏まえてということで)、ひたすらあれこれ動かされる肉体というのは、その動きの内容に関わらず窮屈に見えてしまった。制圧して制圧してようやっと成り立つ、みたいな印象が強い。制圧というのも動きを抑え込むというのでなく、肉体からの動きの欲求をガン無視する、みたいなイメージ。これは主にFEARLESSの話だが。

 

Blue Flameはなまじディスコファンクに当たるばかりに、余計リズム、ビートガン無視!!!!!!という感じへのしっくりこない気持ち悪さがある。リズムに乗って踊ってこそ、解放があるもんじゃんという。

 


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無論それは感覚的な話ではあって、歌の情熱やコンセプトをバッチリ捉えたくてそうした、ということがあった場合、それが悪いと判定されるべきだとも思わない。

 

レゲトンなのが功を奏しているのかANTIFRAGILEはFEARLESSの時より違和感は減っていたし、まあ曲次第なんだよなという諦念めいたものはあるのだけど、やっぱり無理くりでやりすぎなんだよな〜〜〜と思い、悶々としながら見ていた。悶々としながら見ている時点で私が得たいものは得られていないのだ。

 

 


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なんで最後指でハート作んだよ!!!!!!!!!!!!!!!!意味わかんねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

セラフィムの話はこれくらいにしておいて、FEARLESSみたいな曲で個人的に好ましかったコレオとは…と思い返していたのがテミンのMOVE。似てる曲というか単にシックかつビートの感じで思い出しただけなのだが。この時のパフォーマンスが好きなのだが奇しくもランウェイで踊っている。

 


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徐々に近づいてきて最初のサビでようやくダンスらしいものが始まるという溜め、からビートに乗った振りや音ハメが入るようになって勢い付いていくのは解放的である。この空間でこんなにも近接した距離で見ることができたならどれだけ良かっただろうかと想像する。映像だけでも息を呑むが、息を呑みすぎて死んでいたんじゃないかと思う。これはパフォーマンスとしてきちんと体感したい。

 

 

あとは神話のkiss me like that。これはギターのリフで終始するシンプルなトラックっていうところで思い出したのだが。

 


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私はルセラのFEARLESSに割とこういうコレオを望んでしまっていた。ルセラの楽曲は非常に好きなので、このように曲に浸らせてほしかったな〜と思うなど。

 

 

 

逆にやりすぎなのに良かったなというのがDKBRoller coaster

 


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まあヒップホップだし許容範囲なんだとも思うが。これは結果論なのでアレだが、この歌は別れてくっついてを繰り返すしょうもない2人の恋愛の歌なので、その哀れでおかしいイメージと切れない関係性、みたいなのものにこのひっきりなしに動きつつも内容は流動的なコレオ…サビは固定だけどポイントダンスという感じもなく、ポージングっぽいものも通して特に見当たらない…がよく合っていたのかなと思っている。見ている分にも、ずっと動いててやりすぎだなと初めは思ったが、この9人としての踊っては消えていく感じ、それこそ流動的な印象が気に入っている。諸行無常的な。? ていうかこれ本当に良い曲だな。グラミー賞

 

 

 

先述したが私は群舞、カル群舞が近年マジで嫌になっていて、揃ったから何やっちゅーねんという腐る気持ちになることが多い。私が解放感を求めるというのは演者自体に対してでもあって、君ら、きちんと楽しいでっか?と思ってしまうのだ。伝統的なダンスの舞台ならともかく、「KPOP」なのだから。楽しんでいてほしいと思う。それはもうただの私のキモい部分だから、良いけど。

あるいはtik tokでのチャレンジが流行して以降、「そのための」ダンスになってしまったところが確実にあって、もちろん昔からマネしやすさとかはある程度意識されてきたんだろうとは思うし、そういう、生活の中にダンスが息づくという面は良いことだろうとも思っているのだけど、4〜5分の曲の中で歌い踊る時に起こる何か、というのはこうやって死んでいってしまうのか、とチベットスナギツネの目でスマホの画面を見つめることも増えた。「そのための」ダンスになったとてその「何か」が起こる可能性は全然あるし、一概に腐すわけではないけれど。

 

 

てのがあるので、今年New Jeansのコレオはとても助かった。

 


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揃えることを目的としていないコレオが今のkpopにあることは個人的に相当救いである。もう何なら、振りを踊らなくても良いのだろうと思う。いずれライブで概ねサビ以外は適当に踊る感じになったら嬉しいなと思う曲だ。

 

 

 

 

その他自分が好きだと思ってきたkpopのダンス。

 


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全部目的が違うのでアレなんだけど。あと思ったより少ないねやっぱ!!!!!

 

 

 

あるものに目を奪われているとき、そこから得たいものは何なのか、自分とは何なのか(?)を知りたいからkpopを見続けている気がしていて、だから断言はできないのだけど、音楽が流れそれに合わせ踊るという行為に快楽と解放は求めているように思う。あと踊りについてのみ言えば、躍動する身体に感動したい、みたいなありきたりなところはあるでしょうね。工場でした。

kpopのダンスについて色々書いてみたが、ルセラに関しても他のものに関しても、決して優劣や良し悪しをつけようと、つけられると思っているのではない。これはkpopのダンスにまつわる批評などではなく(直観をもとに書いているのでそらそうである)、単なる私の傾向を曝け出しているに尽きる。田中泯が「踊りというものが存在していて、目には見えない」と言っていたことがあるのだが、私はそれを直観的に信じている。だから、少なくとも表現という尺度でダンスを見ることはしたくないし、技術というのも、まあある一定のラインはあるのだろうが、さほど興味がない。ダンスは言語にもなるもので、やりとりで、大きなものであると信じていて、その大きな流れの中で起こることの一つとして、kpopを楽しみたいと思う。その態度が、単なる商業であるというkpopの絶望的な側面にも、あわよくばパンチを入れることができたらと思うこともある。

そういうつもりで見ていますというのをきちんと書いておく。なぜならインターネットは怖いから。

 

 

 


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