ドスコイ墓場

オタクの話やオタクじゃない話や

今週あたり(~10/23)と前記事の補足(みたいなもの)

 

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カフェでノートを開いたら以前書いた文字列が目に入った。

字汚すぎてやめちまえよと思った。なんて書いてあるかしばらくわからなかった。「恋愛的創作物は規範を促す…」だった。やめちまえよ。

そういえば創作物において字が汚い女って出てこないなと思った。あと、ガッハッハって笑う女。いっぱいいるのにね。ここにもいますし

 

モーニング娘。加賀楓さんが今年で卒業してしまうのもあり、ビハインド的な映像を検索して見ていたのだが、少し低い声でサクサクと喋る姿に今になって惹かれた。私は女の輪の中にいる時自分の低い声や言葉遣いも含めた喋り方に疎外感を感じることが多かったから、いわゆるアイドルっぽ喋りみたいなものをしない人を見るとなんか自分もそれでいいんだと言われたような気分になり助かる。

 

 

髪が伸びてきたので、そろそろ私も巷の女性達くらいにはかわいいヘアスタイルをしてみたいと思って検索した。編み込みのツインお団子、というヘアスタイルのやり方をYouTubeで見たので実践してみた結果、少々荒いが、まあ見るに耐えるくらいの出来にはなり、似合わないなという感じでもなかった。

 

ただ、びっくりするくらいおもんなかった。

 

もう何一つおもんなくて、著しくテンションが下がった。

 

この髪型は私に毒にも薬にもならない。マジでおもんない。わざわざ編み込んでんのに。おもんなさすぎる。鏡の中に映る自分をみてテンションが上がらなければ何の意味もない。以前私はただただ見た目にコンプレックスがあって可愛くなりたいのかと思っていた。だがフェミニズムを知ったり、それでもルッキズムから抜けられないと悶々としたり、自分の趣向を徐々に認識したり、そんなことを経てるうちに、私はただ可愛くなりたいのでなく自分にウケたいと思ってることがわかったのだ。これはもう、こう表現するしか思いつかないのだ。本当に自分にウケたい。自分の見た目に混沌としたところ、煩雑な部分があればあるほど気分が上がる。だから可愛い髪型をしてもなんもおもんなかったのだ。

昔から桜木花道くらいの嘘みたいな赤髪にしたいという気持ちがある。アレはかなりおもろいのだ。

 

徐々に自分の姿を受け入れられないということが無くなってきたし、自分の趣味を恥じることも無くなった。ただ、あれこれ言われなければならない規範意識的なものがまだ存在することが本当に許せない。私に対してだけでなく、SNSで不特定多数に気軽に放たれるそういう言葉と意識。芋とか垢抜けとか言うのもうやめなさいって。若い子たち。自分を揶揄する言葉に従って世間の妙な指標に合わせて自分を矯正するよりも、自分を軽んじてくる周囲のことを殺しなさい。工場でした!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

10月14日のラヴィットでくっきーが言ってた昔テレビ番組で出展した作品というのはクルリガマのことです。クセスゴSP観たけどクセスゴ飯とか言い始めたらもう終わりやって。ここ最近で良かったお笑いは、「防犯カメラが捉えた!衝撃コント映像」のラブレターズの逃走中コントと、「千鳥かまいたちアワー」で大悟がノブにワシの喜ぶこと考えてしてみいと言った瞬間にノブが変顔をして大悟が嬉しそうに笑ってたシーン。ノブ曰く大悟はノブが大きな動きしてスベれば何でも笑うらしい。せやろな。仲の良さを見せてもらうのってありがたいよね。私は自分ちの猫が誰かに抱っこされて可愛がられているのを見るのが好きなんだけどそういう気持ちだと思う。性癖とかじゃないよな?

 

あと「防犯カメラが捉えた!衝撃コント映像」」で南海キャンディーズの山ちゃんが披露してたしずちゃんのエピソードトークがすごく良かった。しずちゃんはオリンピック目指して本気でボクシングをやっていたけどそれは叶わなかったから、今は自分の遺伝子を継いだ人間にオリンピックに行ってほしいという夢を抱いていて、強い遺伝子を残したいがために、Facebookメイウェザーに「抱いてくれ」とDMしたらしい。夢はキモいけど、なんかその行動の突発さが良くて、私と付き合ってほしいなあと思った。

 

 

きつねの大津かと思ったらキムウォンジュンでした

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https://youtu.be/KpGo_lHoOEY

 

 

 

 

 

ツイッターフォロワーの千尋さんと久しぶりに邂逅。おおよそ3年ぶりと思われるのだが、初めて会った時はクラブの薄暗がりでボソボソ話しただけでまったく記憶を失っており、初めて会うのと変わらないくらいのものだった。いろいろな話をしたのだけど、ひとまず互いに、ツイッターはやめるべき、ツイッターは嘘、ということを確認した。私の鈍な脳味噌からはよい話を提供できず、死ぬしかない…と思ったが、千尋さんは興味深いトピックをたくさん話してくれて、とても嬉しかった。互いの界隈が以前とは少し異なってはいるのだけど、それでもこういう話をしても大丈夫だ、という確信があるひとが、好意的に接してくれることは本当にありがたいことだ。私は死ぬしかないのだが…

夕方にはカフェに行き、トゥンカロンを食べ、ぼーっとしながら2人で店内BGMのkpopを聴いた。突然千尋さんが口を開いたと思ったら「ゆっくりしながら…音楽聴くのって、良いですね」と言われ、「本当にそうですね」と笑いながら、帰りますかと立ち上がり、一階へ向かう階段を降りる時転げ落ち、そうして1日が終わった。

 


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こんなええことありまっか?

 

 

 

 

いや〜KPOPって本当にいいもんですね。(これ淀川長治と勘違いしてましたが水野晴郎でした)

 

 

 

 

 

今週はcignatureのBoyfriendを突然思い出して延々聴いていた。あまりにも良い曲。モニカ先生とかが振り付け作りなおしてくれないかなとは思っているが…


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しかしラスサビに行く前のブリッジのあたりはすごく良くて、ジウォンちゃんがフェイク入れるあたりとかは特に。ちょっと時が止まったように感じられます。

 


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パクジはいつも2.5次元俳優みたいな感じが面白いんだよな。それでいてちょっと情けない。今回もなんか飲まされて打たれて踏んだり蹴ったりだし。でも泣くのを堪えるように顔を覆うシーンすごく良かった。あと曲も結構好きです。

 

 

 

 


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バーチャルアイドルのサバイバルプログラムというのが始まるみたいで引いてるのだが(サバイバルをどうしてもやりたいのかよという意味で)1:50~のオリビアへが声担当してる(らしい)キャラのLeeHiカバーすごく良いです。

その流れで登場するタコのキャラはウンビオンニらしいです。

 

 

 

 

 

前記事の補足みたいなもの。踊りという広い言葉を使っても、どうしても各々がこれまで体感してきたものの範囲で捉えられてしまう。今ではよくテレビでダンス特集などを目にするが、そこでの尺度がほとんど"いかに揃っているか"ということになりがちなのを思ってもらうと伝わるのかな。経験してきたジャンルの中で称賛されてきたものが価値の最上であるということになるというのは、踊りに限らずではあると思うが起きやすい。私の書いたところは、そういうのは無しにしたい、ということであって、もちろん私にも偏向的な部分は確実にあると思うので矛盾は生じてしまっているとも思うが、このような踊りがとても良くて価値あるものだよ、とか言いたいわけではない。田中泯の言葉なども引いたが、踊りというのは大気だと思っている。踊りとして細分化されたジャンルも、例えば忙しい飲食店で店員達が会得した特有の動きとかも、踊りであることに違いないと感じている。

また、kpopのパフォーマンスの中で前景化するものというのは、どれほど意図して統制できるかは定かでないが、異なっていると思う(それを"目的が違う"という言い方をしました)。私が好きなダンスとして挙げたonlyoneofのa song of ice & fireは私の最近の好みに反してカル群舞的な文脈にあると思うが、歌の情動を際立たせるのに強く活きていると私は感じていて、そこを好んでいる。

だから、どんな踊りもみんな違ってみんな良い、みたいなことを思っているわけではなく、まあそれは見当違いなわけではないのだけど、より正確に言えば、踊りは非常に大きく、あらゆることが起こり得て、その中で予期せず、言葉にも表せない何かが、起きることもあり、それは何にも変え難い、みたいに思っているという感じだ。

踊り自体が語りになることがあると思うので、それを観て言語化するのが必ずしも良い鑑賞だとも思わないし、あるいは踊りとは文化であり、闘争のための手段にもなってきたわけで、リズムに乗って体揺らしゃいいんだよとかの気持ちが個人的にあるのも確かだが、それが踊りの全てを言い表せると思っているわけではない。だから私が踊りについて言葉を書き連ねる時、それは私自身を晒しているに過ぎず、価値判断を仰ぐものにはなり得ない。口すっぱく言ってたのはそういう意味である。

あと、kpopに関しては歌があることは見方に大きく影響しているし、ステージパフォーマンスにおいて特に顕著だと思っているが、空間とどのように在るか、ということも私の希求する踊りの何か、に関わると感じて観ている。

 

〜完〜

 

 

 

夜中に目が覚めてベクイェリンのpopoを聴いていたら泣きそうになって、こういう瞬間が不意に訪れることが何よりも嬉しいよと思いながら寝た。

 


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